おこめマンのあたまんなか

なんでも書きますぼくのこと

拙速駄文オリンピック蛇足コロナライブ生活バンド仕事吉行淳之介

この状況でライブをやる=人前で興行を行い小銭を稼ごうという立場にあって、自分の立場を記す。これは個人の意見感想であり他の何物も否定しない。

 

正直感覚が麻痺してる気がする、過去最高の感染者数やその9割が50代以下であること、俺の住む千葉県が緊急事態宣言を要請したこと、これらを踏まえてやっぱりライブに出るというのは、1年前では考えられなかったことのはずで、俺大丈夫かなと思ったりする。

 

~オリンピックについて~

オリンピックについては開催肯定派だった。それはスポーツが好き嫌いの話ではなく、世界最大級の人間集まりイベントができるなら音楽イベントもできるに違いないという考えがあったからだ。オリンピックができる=ライブなんてもっとできる。制約はあってもできる。そうなると思っていたが音楽フェスが中止になったり感染者数全然減らんし水際対策の失敗ぶりもドリフ観てんのかと思った。

 

でも始まってしまえばきっと俺含め多くの人間はスポーツに打ち込む人に心打たれてしまうこともあるだろうし(開会式の劇団ひとりには痺れてしまった)メダルを獲ればテレビも新聞もそれを報じるのは当然である。菅ちゃんバッハさんがそこまで見据えて全ての失態に蓋をして「やったもん勝ち」の態度を貫いたのが見え見えで、そこには憤りを感じる。この気持ちを次の選挙まで忘れないのが、肝要、曲にできたらいいね。

 

~スポーツイベント~

吉行淳之介という作家は戦時中校庭で円陣を組む同級生たちに混ざらなかったらしい。俺がワールドカップに浮かれる渋谷を見るときの気持ちと同じなんじゃないかなて思ったりする。どこまでが自由意志でどこまでが同調圧力なんだろう、いい歳こいていつまでも文化祭の延長線上に生きてる人間が、多かったりしないだろうか。甲子園にでる高校球児はなんで「応援してくれた皆さんのために頑張ります」と聖人みたいなことを言ってしまうんだろう、おんがくやるのもスポーツやるのも「自分がやりたいからやる」が原初なんじゃないだろうか、それではだめなのか、国のためでもなく地域や誰かのためでなく、自分の欲望のためだけに走り続けることはとても人間らしくて輝いてると思う。すべてに感謝したくなる瞬間が人生で訪れることも分かるけど。

 

~ライブについて~

以上を踏まえライブについて、やっぱり俺がやりたいのでやります、がそれはやっぱり俺がやりたいだけなので見てくれたら嬉しいし、見てくれなくてもノーダメ(ノーダメージ)だ。冒頭で「小銭を稼ぐ」なんて言ったけど現状トータルで観たらマイナスだ。ライブで有休使いきったし下北沢まで片道2時間1300円かかるけどやるのはやっぱり俺がやりたいからだ。掘り下げると「やらないと死ぬ」とか「それだけ音楽が好き」とかの話になるのかもしれない。

 

とにかく究極は俺のエゴなので、いまライブにこれなくても全然オッケーだ、フロアがガラガラだから鳴りやむようなひよわな音楽はハナからやってないつもりだし、友達お客さんゼロのフロアに向かって18歳の俺はフリースタイルラップをかましフィリピンで8000ペソで買ったエレアコをかき鳴らし、仮性包茎についての歌をそれはそれは一生懸命に歌っていた。

 

~ライブをやることを正当化及び美談にしない~

本来ライブ以外の音楽活動なんていくらでもある。実際この間出したアルバムも2020年ライブムズそうだし製作期間にしちまおーというのが出発点だ。それでもやるっていうのは上記の「俺、音楽が好きだからサ…。」なんてカッコつけた理由のみで正当化しようとは思ってない、音楽をやりたい。とりわけ今はライブをやりたいという俺のエゴである。

 

俺について言えば今はひとりぐらしだし仕事の都合で田舎に住まわされているので音楽以外の用事で誰かとあったりすることはほとんどなくなった。正社員になったおかげで9月の頭にはワクチン二回目も打てる予定だ。だからオッケーて話がしたいんじゃなくて、そういう状況にない人がいっぱいるのも分かってるつもりだぜってことを明確に記しておく。武器は想像力のみ。敵はコロナと現政権で十分。怒りと寂しさは曲にする。喜びはライブ後にとっておく。全部の感情ゴミにしない、歌にしたり、たまにはこうやって文章にして向き合ってとっといて、いつかフワッて成仏したらラッキー。でもやっぱり引きずることで向き合えることもあると思う。

 

俺と今まで関わってくれた人々の健康を心の底から祈ります。